私たちの活動 事例紹介・インタビュー

中小企業にとっての一番の経営課題は、「ヒト」
「いい人が採用できたよ!」というお客様の喜びを生み出すことが我々の使命

2015.10.20

[アビリティ・キュー企業紹介]
1994年(平成6年)創業。人口減少、急速に進む少子高齢社会、デフレ不況等により労働市場は大きく変化していく中、地元福岡でいち早くフリーペーパー求人誌「あぱぱ」を創刊。福岡に本社を置く唯一の地元求人情報誌、アルバイト・パート情報「あぱぱ」を発行。地元企業の雇用を促進し、求職者に正確かつ安心できる情報提供を行っている。2009年(平成21年)福岡県男女共同参画表彰を受賞。

「うちはアメーバーのように事業を拡げていく会社。君にも社長になるチャンスがある」
という社長の言葉に可能性を感じて入社を決意

今から40年前に、新卒でアビリティ・コンピュート・リサーチ(当時の社名。以後ACR)という得も知れぬ会社に入社しました。福岡を中心に、人材の紹介所、求人誌や高校生向けの就職ガイドブックの発行、適性検査や入社前の通信教育など様々な人材ビジネスを行っている会社でした。たまたま先輩がその会社で働いておられて話を聞かせて頂き、面白そうだと感じたんです。社長に直接アポイントを取り、お会いしに行きました。色々と話を聞かせて頂く中で、「うちの会社は事業をアメーバーのように拡げていくんだよ。君も社長になるチャンスがあるんだ。」と言われて、「俺も社長になれるかもしれん!」とその気になり(笑)、その会社に入社しました。

入社後4か月、全く売れず。「道に落ちていたら1円でも拾って帰ろうか!」の心境
友達にお願いして受けて貰った適性検査、売上1000円

入社後北九州に配属されたのですが、4か月間全然ダメでしたね。売上が全然なくて、「道で1円でも落ちていたら拾って帰るか」みたいな心境です。当時、個人に対して適性検査を実施するサービスがあったので、友達を呼んで「お前、これ受けろ!」と言って、1000円の売上を立てたりしていました。「売れるモノがあれば、何でも売る!」という感じです。
あらゆる所を歩き回って軒並み訪問して、やっと1社、現在では立派な会社に成長されていますが、その1社だけ、高校生向けの就職ガイドをカラーでご発注頂くことができました。が、それ以外はさっぱりでしたね。(笑)

バス停に置いてあるフリーペーパー「週刊求人」 を見た時、「これは売れる!」と直感1年後にはトップセールスに

既にACRでは、福岡で今で言うフリーペーパー形式の「週刊求人」を発行していました。今のようにコンビニなどはなかった時代。バス停にぶら下げていたり、タバコ屋さんに無料で置かせて貰っていました。北九州から福岡に異動し「週刊求人」という商品に出会って、「これは面白い!」と感じたんです。「これなら、いける!」と。
福岡はサービス産業の街です。土日になると新聞の求人欄には、求人情報がガサッと載る。マーケットは伸びていた。商品特性も、「成る程、バス停の軒先を通る人が見て、応募する情報誌なのか」と納得感がありました。
求人情報の主体は新聞という時代でしたが、この商品だったらご案内する先も沢山ありました。「あんたよう来るけど、うち求人ないよ」と言われましたが、求人というのは必ず出てくるものなので、「でも、お店やっていたら必ずアルバイトの方が必要になんじゃないですか?今じゃなくても、いいんです。そういう時になったら声を掛けて下さい。」というセールスをやっていました。何度も何度も同じ会社やお店に足繁く通って、少しずつお客様を開拓していきました。1年くらい経ったら、トップセールスになっていました。快進撃でしたね。(笑)

バブルが弾けて数年後。低成長時代に突入したアノ時代に、
元の会社から求人誌事業の経営権を買い受けして、独立。順調な滑り出しを切った

ACRの事業部隊がだいぶ大きくなっていて、総勢60人くらいの会社になっていたと思います。まさにアメーバーのように事業を拡大していました。ところが、バブルが弾けまして、はぁ・・、もう大変でしたね。(笑)私も取締役の一員ではあったんですが、毎日この難局をどう乗り切っていくかという話をしていました。
それで、思い立ったのが、求人の部門だけでも本体と切り離すこと。切り離せば本体は身軽になる。我々は我々で、「営業を頑張ることで何とかやれるんじゃないか」と。私を含めて当時の幹部5名と色々と話をして、「もしかしたら、やれるかもしれない!」となりました。
社長と話し合い、条件の折り合いもつき、経営幹部5名を軸に資本金を出し合い、事業を継承するという形で、のれん分け的に独立をさせて頂きました。厳しい時代ではあったのですが、営業が得意な連中ばかりだったので、売れる自信がありました。そして独立を果たしました。創業した当初は順調な滑り出しでしたね。

目を疑った1997年の銀行・保険・証券会社の相次ぐ経営破綻
福岡の地でも、その影響は我々の想像以上に大きいものだった

我々素人経営軍団にとって一番大変だったのは、1997年の北海道拓殖銀行の経営破綻でした。銀行は潰れる、保険会社は潰れる、証券会社は潰れる・・、信じられないことが起こった。目を疑った。あれが我々のビジネスにこんなに影響があるのかと、本当にビックリしましたね。
先行きの見えないそういう時代ですから、地場の中小企業さんは、当然雇用をストップ。蛇口が閉まっていくのは当たり前のことですよね。求人件数が減り、求人依頼が減る。情報誌が薄くなる。うちの情報誌が買われなくなっていった。売れなくなれば、当然応募がなくなります。応募がなくなってくると、求人を出して下さるお客様がなくなっていくという負のスパイラルです。どんどん悪くなっていくのを、止めようがないんですよ。
折角、新入社員を採用して、彼らが元気に外に出て、頑張ってお客様からチャンスを頂いても、もう反響がありませんから、可哀想に叩きのめされて自信を失っていくという状況でした。

同業者さんとの勉強会で、気づかされた「事業への取り組み方の甘さ」
情報誌事業の経営環境は厳しいが、何とか活路を見い出したい!

そして、ちょうどその頃の話です。私が加盟している中小企業家同友会の全国イベントが高松で行なわれました。そのイベント後に、人材ビジネス関連の同業者が集まって勉強会があるということで参加したのですが、いやー驚きましたね。香川県の同業企業が7社も参加していたんです。福岡からはうちの会社以外は参加していません。もし私が、香川県で事業を起こしていたら、1日と持たないなと思いました。事業の取り組みの甘さに気付かされました。
情報誌事業は確かに厳しい環境にあったけれど、何とか活路を見い出したいと思いました。実はこれまでも幾度となく経営会議で、抜き刷りでコンビニに置いて頂いていた“あぱぱ”のフリーペーパー化については議論にあがってはいたものの、1度も本気でやろうとはしなかったんです。その”あぱぱ”のフリーペーパー化を「本気でやるしかない!」と決意し、本格的に着手しました。
あの香川での勉強会に出ることで、フリーペーパー化を推し進める決意ができたこと。これが大きな転機になりましたね。今考えると、空恐ろしいです。そんなこと考えもしなかったら・・、考えるきっかけもなければ・・、今のうちの会社はなかったかもしれない。フリーペーパーなんて後発でやっても全然ダメですからね。

「土俵を変えて勝負に出る!」という想いで、大手に先んじてフリーペーパー化を推進
中堅メンバー全員が辞め、残された取締役5名と新人5名で難局を乗り切った

市販誌は、右を見ても、左を見ても大手さんばかり。並みの戦略では如何ともしようがない。資本力が全然違うので、やっぱり絶対に負けるんですよね。一番資本力のない我々は差別化するしかない。ですから、勝負の土俵を変えようと決めました。
一人でも多くの方に求人情報を手に取って頂けるよう、「如何に求人情報誌を流通させるか」が、我々のテーマでもあり課題。そこで、当時スーパーにはまだほとんど求人誌がなかったことに目を付け、スーパーを軸に流通を拡げていきました。とにかく、主婦の皆さん方にお買い物帰りに持って帰って頂く。無料だから、求人件数が少なくても、その中味がちゃんとした情報であれば、必ず応募してくれるはず。店売りに加えて、無料配布がどんどん増えていくのだから、「絶対に応募効果はある!」と思っていましたし、必ず成功するという確信を抱いていました。
しかし、中堅メンバーからは、「こんなものが商品として確立するわけはない。この会社潰れますよ」と正面から言われました。僕が、「今のままでは給料を払えない。本気になってこのビジネスをやろうと思ってくれる人は残って、一緒にやってくれ。そのかわり、生半可な気持ちでは、とてもやれない」と言ったら、中堅社員は全員辞めました。「えっ、お前もか!?」とちょっと辛かったですが、仕方ないですね。経験値はそんな簡単に変わらない。結局、独立の時の主メンバー、取締役5名と新人5名が残り、皆で頑張るしかない状況でした。しかし、期待した反響が、割と早い段階で出てきたので、手応えを感じました。これは「いける!」と思いましたね。実際、当初の目標に近いところまで求人件数を確保でき、収益性の高い事業モデルとして上手くいったと思います。

人に人生哲学があるように、企業にも企業哲学がある
我々の経営哲学は、「笑顔がでない仕事はできない」

ACRの創業社長が亡くなった後に会長に就任された方が、就任後「我が社の仕事は、『人と企業の架け橋』です。ですから、『人と企業の架け橋』にならないお客様とはお取引きできません。」と言われたんです。当時は、海外商品取引や風俗など今ではお断りしている業界も取引きがあったんですね。お金払いがいいんですよ。そういうところに我々の会社も、知らず知らずのうちに支えられていた。理念もへったくれもなかった。お金になれば良かったわけですよ。
そこに、「『人と企業の架け橋』にならないお客様とのお取引先は全てお断りしなさい」と言われて、「えっ?!」と思いました。「これ、全部断ってしまったら、大変なことになるよ」と。「会社、明日にでも無くなるんじゃない」というような話だったんですよ。それでも、会社の方針だからということで、私も自分の上得意先だった海外商品取引の会社さんを全部お断りしに行きました。当然すんなりとはいきませんでしたが、お客様から常々「貞池さん、こんなところの横に載せんとってよ」と言われて、「申し訳ないです」と謝りながら仕事をしていたので、そういうことがなくなってホッとしましたし、心配した売上も戻ってきた。企業が歩んでいく方向性と企業が成すべき事業の考え方、人に人生哲学があるように、会社にも企業哲学があるということを学ばせて頂きました。その体験が、弊社の経営哲学「笑顔が大好き」へと繋がっていきます。
中小企業の一番の経営課題は、やっぱり「ヒト」なんですよね。その一番の経営課題である、人を雇用し、活かして収益力を高めて頂くお手伝いを、我々はできる。だからこそ僕らの、本質的な喜びは何かというと、やっぱりクライアントさんに「いい人来たよ!」と言って貰えること。採用した企業さんの喜び、それからそこに採用された方々の喜び、その喜びを作りあげていくことが我々の本来の事業の目的だと思っています。一緒に働くメンバーもよく「自分が仕事を探すことに苦労したからこそ、仕事を探している人達に求人情報をどんどん届けたいんです。」と言います。まさにそれこそが、我々の仕事に対する誇りであり、使命だと思うんですよね。僕達自身も笑顔で読者の皆さんに情報を提供していきたい。
だから僕らは、笑顔が出ない仕事は、やっぱり扱えないんです。

お客様の仕事の中身が、どういうものなのか。それをきちんと分析して可視化する
様々な仕事のバリエーションの中での人材活用を考えていくことで将来性は高まる

私どものクライアントは、地元の中小企業さんがほとんどですが、中小企業にとっていつまで経っても解決できない問題が「ヒト」の問題です。ひと一人がとても大切なこの時代、人の採用に苦労されるのではなくて、今ある労働力の上手な活用をしっかり考えていくことが大切だと思っています。中小企業さんにとっては、なかなか競争力をつけることができない中で、人を雇用し、活かして、収益力を高めていくことは大きな課題。我々はそこをお手伝いできる。その観点からみれば、非常に将来性が高いと思います。我々は経営者の皆さんの相談相手になれる力を、しっかりと身に付けていくことが大事ではないかと思います。
今、ダイバーシティマーケティングと盛んに言われていますけれど、まさに今中小企業はそこを考えていくべきではないかなと思います。お客様の仕事の中身を、きちんと分析し、可視化することで、障害者・主婦・高齢者など様々な人材を活かすような時代ではないかと。そのような時代の中で、我々はどのような提案をできるかが、とても大切になってくると思うんですよね。

貞池龍彦 (サダイケ タツヒコ )

アビリティ・キュー代表取締役

1952年年生まれ。福岡県出身。趣味はマラソン。毎日12キロ走っている。
1994年 人財ビジネスのエキスパートになろう!という願いを込めて、株式会社エー・シー・アールから独立し株式会社アビリティ・キューを設立
1998年 地元福岡でいち早くフリーペーパー求人誌「あぱぱ」を創刊
「笑顔が大好き」の理念のもと、求人広告業界一筋で、地元福岡に根ざした採用と就職支援を続けている。

更新日時:2015年10月

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